ボタンを押せばエンジンがかかり、ハンドルも指一本で回せ、ブレーキは軽く踏むだけで止まる。
冬も夏もオートエアコンで快適。行きたいところへはナビゲーションが案内してくれる。
まるで子供の頃に描いた夢の車が、最新の自動車。
自分の愛車は、快適とは「無縁」。
言い換えれば作られた時代が違うのですから仕方ありません。
気温や湿度でキャブレターを含め調子も変わりますし、ハンドルは重く、ブレーキにも脚力が要求されます。
暑い日は窓をあけ、雨の日はガラスが曇ります。それに「大食い」・・・。
世の中が便利と快適を求め続けるのは当たり前。そこに現在の経済成長があるのですから。
しかし、当時の自動車にはまた違った「味」というものがあるのです。
今の車はほぼすべての機能をコンピューターで制御しているので車を操るという感覚がまるでありません、乗せられている感と言うのでしょうか、それを強く感じます。
「快適」という事なのでしょうが。ジャジャ馬を自在に操り、乗りこなす。それこそが「男のロマン」。この車を所有して、乗るたびにそう思います。
自分と愛車の生まれた1960年代は、アメリカ自動車産業がもっとも活気があった頃であり数々の「名車」が生まれた時期でもあります。
そんな時代に生まれてから40年も経ちましたがボディーコーティングでピカピカになった愛車は、眺めているだけでも幸せな気分になれます。
もちろん走ればもっと楽しいのは言うまでもありません。
次なる目標は、愛車を眺めながら過ごせて、一緒に寝泊りも出来るこだわりのガレージですかね(笑)
新しい自動車技術の開発のコンセプトは、環境性能とエコ。
正しい方向に向かっているのは間違いありません。では古くても価値のある車達はどうなるのでしょう。
「古くなったら捨てましょう」ですか?
今の若い人達の間に「車離れ現象」が起きていると聞きます。自動車とともに生きてきた人間としては寂しいかぎりです。
偉そうな事をいうつもりはありませんが、若い頃にはTVゲームもなく携帯電話もパソコンもありませんでした。唯一楽しめる道具が「車」。
車を持つことによって行動範囲が広がり、仲間も増え、日々を共に過ごしてきた自分自身の一部でもある自動車という存在。
こうしてまたレストアとボディーコーティングをされた愛車は、ずっと乗り続けることでしょう。
交差点で並んだ最新のハイブリッド車の10分の1の燃費でも世間からはエコじゃないと言われようとも。
物を大事に永く使う精神も「エコ」だと思い続けながら・・・。